牽牛子塚古墳から2.5km南西の高取町内に、もう一つの斉明天皇陵があります。林の中の道(↓)をひたすら登った先にある車木ケンノウ古墳で、宮内庁が陵墓に指定しています。新聞によると、指定された幕末には「天皇山」という地名がついていたそうですが、未調査なのでよく分からないようです。
斉明天皇は、天智天皇と天武天皇の母親です。最初は皇極天皇として即位し、目の前で蘇我入鹿が中大兄皇子(後の天智天皇)に殺された乙巳の変(645年)の直後に退位、後に斉明天皇として再び皇位についたのです。大規模な土木工事を好んだと日本書紀に書かれています。661年に亡くなったそうですが、1350年後に再び脚光を浴びるなんて、本人は思いもよらなかったでしょうね。